ウェルビーイング

ウェルビーイング(社会的幸福)とは

ウェルビーイング(well-being)とは、心身の健康だけでなく、社会的にも満たされ、幸福感を感じる状態を指します。人権視点の性教育におけるウェルビーイングは、個々人が安全で自由に、自らの体や性に関する選択を行えることをサポートすることを目的としています。これには、以下の具体的な要素が含まれます。

1. 身体的・精神的健康の向上

人権視点に立つ性教育は、個々人が自分の体や性に関して正しい知識を持ち、健康的な意思決定ができることを重視します。例えば、避妊法や性感染症(STI)の予防方法、同意の重要性について学ぶことにより、性行為におけるリスクを減らし、身体的な健康を守ることができます。また、性に対する恐怖や不安を減らし、ポジティブな自己イメージを育てることで、精神的な健康も促進されます。

2. ジェンダーや性的指向の尊重

性教育の中で、性的指向やジェンダー・アイデンティティに関する偏見や差別が存在しないことは、特に性的マイノリティ(LGBTQ+コミュニティ)にとって重要です。性的少数派の人々が自らの性や性別を自由に表現し、社会的に受け入れられることは、ウェルビーイングに大きく貢献します。差別や偏見からの保護がしっかりと確保され、自己を肯定的に受け止める環境を提供することが、人権に基づく性教育の核心です。

3. 自己決定権の尊重

人権視点の性教育は、個人の自己決定権を最も重視します。個々人が自分の体や性に関する選択を強制されることなく、自分で決める権利があることを教えることは、その人の尊厳を守るうえで重要です。これには、望まない妊娠を防ぐための情報提供や、性的同意の重要性を理解させる教育が含まれます。

4. 差別や暴力の防止

性教育は、性暴力や性的ハラスメント、性に基づく差別の予防にも役立ちます。性に関する基本的な権利を学ぶことで、人々は自分や他者に対する尊重を理解し、暴力や搾取を防ぐことができるようになります。これにより、特に若者が自己の権利を知り、必要な支援を求めることができる環境が整えられ、社会全体のウェルビーイングが向上します。

5. 社会的なサポートの提供

性教育が提供するサポートは、個々人が健康的な性に関する選択を行えるだけでなく、社会全体の連帯感や安心感をもたらします。性に関するタブーや誤解を取り除き、オープンで包括的な議論を促すことは、社会的ウェルビーイングにも貢献します。これにより、人々は性に関する疑問や問題を遠慮なく共有し、必要なサポートやリソースにアクセスできるようになります。

結論

人権視点の性教育は、個々人のウェルビーイングを守り、増進するために不可欠です。身体的な健康の維持や精神的な安定、性に関する自己決定権の尊重、性的少数派への理解、そして差別や暴力の予防が、その中心的な要素です。すべての人が尊厳を持って自分自身や他者を尊重し、健康で幸福な生活を送るためには、こうした性教育が不可欠となります。

人間関係の平等と、幸福の尊重

家族、友人、恋人、知人、社会。人間は様々な人間と関係を持って生きています。それぞれ距離感が違うにしても、体の違い、年齢、人種、肌の色、国籍、性的アイデンティティ、性的指向、性表現がことなりますが、それがどの様な物であっても、どの人も等しく幸せになる権利があります。

違いを認めて、尊重し、差別されることなく、等しく平等に幸福(ウェルビーイング)に生きれること。これが性教育が、生教育たる所以です。

ここでは、すこし人間関係について深掘りしてみましょう。

家族とは

現代の家族と、古代の家制度というのは少し様子が違っていました。みんなが当たり前と思っている家族というのは、近代家族と呼ばれ、父親、母親、子どもたちという家族像は、以外と最近、明治時代以後に作られた物です。

さらに現代の家族は、母子家庭、父子家庭はもとより、祖母祖父と孫による家族、同性カップルと子ども達による家族、非婚のまま母子家庭をつくる家族など、さまざまなバリエーションがあり、どれもさほど珍しくなくなっています。また、事実婚で子どもをつくらない家族、結婚をせずひとりで暮らす家族など、そのバリエーションは想像以上に増えているので、家族=こうであるという決めつけはあまり適切ではない、家族にはいろいろあるんだと思っていた方が良いかもしれません。

虐待、ネグレクト、毒親

古い世代は、このような家族の多様性を否定して、父親は働きにいき、サービス残業をしてまで遅くまで働き稼ぎに行き、家事や子育ては母親に押しつけるという風習がありました。この構造ですら、農業生産が中心だったころには男女ではたらき、家事子育ては大きい子どもか祖母祖父の役割だったものが、産業革命によって通勤と言う概念が生まれてから出来たごく最近の習慣でしかありません。

なのに、女性に一方的に家事労働をおしつけて、家庭は男性の労働疲労を再充電するためだけの構造になっているのは、あきらかに資本主義社会のひずみだと言えるでしょう。

こんななか、夫婦仲がわるくなったり、離婚したりして、女性が非正規の仕事につかざるを得なくなり、仕事と家事労働、子育て全てを負担してしまうと、精神的に参ってしまい、結果、子どもに対する虐待は育児放棄(ネグレクト)、子どもに当たり散らしてしまう毒親になってしまいます。これは母親が悪いのではなく、社会側にセーフティネットがないから怒っている悲劇なのです。

もし、あなたが虐待やネグレクト、毒親から加害を受けているなら、ぜひ地域のしかるべき相談場所に相談に行ってください。確かに児童相談所等に入れられてしまうと、同様の子ども達が集まってるが故にそこでもイジメがあり辛い思いをするかもしれません。そんな時は、その事も伝えた上で逃げる算段をして下さい。

もし、あなたが自分の気持ちに反して虐待やネグレクト、毒親になってしまっていたら、まずは休むコトを考え、子ども達同様、地域のしかるべき相談場所を頼りましょう。子どもはなにもあなたひとりで育てなければならないものではないのです。こどもは地域の宝です。みんなで乗り越える智恵を集めてほしいと思います。

友人、恋人、知人

友人、恋人、知人と進むにつれて、距離感が違うとおもいます。話せること、話せないこと、話すときの距離、身体的なふれあい、それぞれが適切であることが重要です。

一番、悩ましいのは、これらの人に、自分が弱ってるとき依存しがちなこと。依存することで相手は自分への信頼として受け入れてくれている場合はいいですが、それを弱みと漬け込んで、あれやこれやと自分がしたくないことを要求してきて、それに従わざるをえなくなったときは要注意です。本当にその人は自分の弱音を見せても守ってくれる人なのか、客観的に判断しましょう。

本来、あるべき人間関係は、自分がきちんと自立していて、相手も自立していて、その2人が共に新しい何かを創り上げるような関係があるべき姿です。自分が自立できてないときに、そこを利用してくるような相手からは距離をとるようにした方がいいと思います。

典型的なのが、売春は性風俗でお金を稼ぎ、ホストに貢ぐようなケースです。ホストは決してあなたのことを対等なパートナーとは思っていません。単なる金づるだとおもっているでしょう。そのホストに承認欲求だけで体をうったお金をつぎ込み、お金がなくなったら捨てられるような関係がもっともダメな人間関係なのです。

社会

ここで言う社会とは、すれ違うだけの人や、まったく話をすることがない人との関係ですが、それでも社会のルールや法律があなたに影響があるように全く無関係ではない人達のことを言います。たとえば奇抜なカッコをしていたら社会からジロジロみられてしまったり、女性なら面倒くさくても社会にでるためにメイクをしなければならないと考える事も多いでしょう。わたしたちは少なくとも社会的な存在なのです。

じぶんらしさと、社会のルールのバランスを取りながら、生きていくのはそれなりに苦労があります。でも社会というものは、常に時代によって変化するものです。どうしても自分らしさを主張したければ、それを社会に理解させればいいと思います。もちろん理解しれくれるまでには、沢山傷つくでしょう。でも1人、2人と理解してくれる人が増えることによって社会は変わります。

女が男に従う社会から、女も男も対等な社会になったのは、女性達が頑張ったからです。同性同士が結婚出来るような社会に変えるために、いままさに裁判を頑張っているのも社会を変えるためです。社会との距離感の取り方は難しく、ともあると負けてしまうこともあるかもしれませんが、自分がどうしてもおかしいと思ったら仲間をあつめて社会を変えてみることも考えてもいいですね。

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